ファンタスティック・フォー 銀河の危機
2007/10/06 17:10 - は・ば・ぱ・う゛行
同じようなジャンルのものならば、どれを観ても同じような印象しか受けないハリウッド映画。
あまりにもシステム化が進みすぎて、なんかもう、大量消費時代の工業製品のようになってしまったシナリオがその主な原因なのでしょう。
大量消費時代の工業製品という観点からはCGIなんかも挙げつらうべきかもしれませんが、それは置きます。
出演俳優、キャラクターや物語の設定など外装ををいくら変えようと、内装であるストーリー展開はどれもこれも同じフォーマットに則って進行する。
ま、作劇術のマニュアルがずいぶん昔に完成されていて、脚本家はそのマニュアルをなぞるようにライティングしているから、こんなことになるんでしょう。
だから大きく外すことはないけれど、深く印象に残ることもない。 沈香も焚かず屁もひらず、毒にも薬にもならない、ということですね。
マニュアル化の悲劇といったところでしょうか。
ところで、作劇スタイルにはキャラクター主導とストーリー主導とがありますが、ハリウッドはストーリー主導寄りのようですね。
ラノベと呼ばれる作品群が極端にキャラ主導で物語性の欠片もなかったことを思い起こすと(キャラが勝手に動き出すとかいう妄言をよく聞いたものです)、個人的には好ましいです。
しかし、キャラクターの心情・情動を軽視しすぎた性急な物語展開は前記ラノベとは逆の方向で如何なものかと思います。 最近では「トランスフォーマー」なんかがそれ。
これなんかは、マニュアル化の惨劇と呼んで良いかもしれません。
まぁ、マニュアル化の弊害は何も海の向こうの話ばかりではなく、我が国にも存在していますけどね。
ここ最近とみに若い声優たちの規格品化・無個性化が進み、アニメを見ていても実に味気なく感じます。
違うのは声質だけで、発声法、声の抑揚、話し方、どれもこれも同じに聞こえる。
声優養成所の授業で受けたことを忠実に再現する能力は高いけど、自ら創意工夫して演じようとしていないのではないか。つーか、そもそも演技なんかしていないんじゃないか。台本に書かれた文字を起伏豊かに読んでいるだけなんじゃないか。そんな風に感じられます。
もっとも最近の声優は、芝居をしたいから声優になるのではなく、声優になりたいから声優になるらしいから、演技云々を求めるのはそもそも筋違いなのかも知れませんが。
まぁ日本の声優の話はさておき、ハリウッド映画の話に戻ります。
そんな、マニュアル化が進んで大量生産用の規格品と化したハリウッド映画のどこに私は差異を見出すのか。 あるハリウッド映画は観て、別なハリウッド映画は観ない、その選別基準は何なのか。
そのジャンルが好きだ、その監督が好きだ、あるいは原作付きならばその原作が好きだ・興味がある等々、いろんな理由があるかと思います。
でも一番大きな理由は、ぶっちゃけ萌える役者が出てるかどうか、ってことになるんじゃないすかねー。
で、ファンタスティック・フォーの話になりますが、私にとってこの映画の価値はジェシカ・アルバが出ていること。それに尽きます。
眼鏡っ娘アルバ投入で「超能力ユニット」よりも萌え度が数百倍アップ!
アメコミに特に思い入れのない私としては、それ以上でもそれ以下でもありません。
だから、「超能力ユニット」では、光をねじ曲げることで物体を見えなくするのがインビジブル・ウーマンの能力って言ってなかったっけ、だったら物体を消す能力じゃないんじゃねーの? とか、シルバーサーファーに触れた副作用は能力の入れ替わりだったのに、なんで最後は4人の能力が1人に集まっちゃうわけ? とか、クライマックスであるべきギャラクタス対シルバーサーファーの戦闘が秒単位で終わっちゃうってのはどうなのよ、とか、安易にキャラを殺したり生き返らせたりするなよ、だいたい主役の1人なんだから欠けるわけないって観客は分かってる、そういう死は物語的な起伏にはなり得ません、等々のてんこ盛りな問題点も、あーハイハイよかったねよかったね、と許す気分になれちゃうんでした。
ところで、あからさまに第3作目ありますよ、というラストシーンでしたが、やっぱ次回作でもインビジブル・ウーマンのヌードシーンはあるんでしょうか。
参考エントリー
ジェシカ・アルバ出演
マーベル
参考アフィリエイト
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