パラサイト・イブ
2006/10/16 21:58 - は・ば・ぱ・う゛行
二次創作である映画の監督や脚本家が、一次創作である小説から、何をすくい取り、何を切り捨てるかは、その監督なり脚本家なりのセンスであり自由であると思いますよ。
ですがねー。原作の良さや独自性などは根こそぎ破壊され、甘ったるいセンチメンタリズムでベタベタと塗り固めた、陳腐きわまりないラブロマンスにまで変形した映画を観て愕然としない原作読者が果たしていたのだろうか。大いに疑問です。
現役の理科系人間が、その専門知識である生化学の知見をふんだんに投入して、科学的探究心や知的好奇心といったものを大いに刺激するサイエンティフィック・ホラーを書いた。
それが原作の新機軸であり魅力であったと思います。
たしかに、難解な論理や事象を難解なまま提示し、物語を組み立てるという原作のアプローチは、一般向けでないことは認めますよ。
しかし、人類をゴミ屑の如く扱う強大な力を持った究極生物ですら、大自然の摂理の前にはまったくの無力である。 自然とはかくまで深遠であるのかと、思わず厳粛な気持ちになりましたよ。 原作のイヴの滅びの場面を読んだときは。
しかるにこの映画のクライマックスは一体なんだというのか。
たとえイヴは聖美の姿形を取っていようと、それはあくまでミトコンドリア生命体が擬態しているだけであって、もう聖美の要素は、細胞も記憶も魂すらも残っていない。
しかもイヴは10億年という悠久の時間をかけて、この世にやっと生まれ出た。
そんな状態の知的生命体がですよ、虫けらの如き人間の、愛だの恋だのといった戯言が耳に入った程度であっさり自滅するなんて、ぜんぜん説得力がありません。
「愛が奇跡を起こす」だなんて安直にもほどがある。脚本家の怠慢ここに極まれり、という見本ですね。
まぁそんな腐りきった映画ですが、その致命的とすら言える欠点を補って余りあるのは、なんと言っても聖美のときの葉月里緒菜の萌え演技。
これはヤバすぎでしょうハッキリ言って。特に恥ずかしげに俯く仕草にすっかりメロメロ。さすが魔性の女。
この映画の唯一の存在意義は、葉月里緒菜にこういうカワイイ女役をやらせた、というただこの一点のみですが、しかしその一点はあまりにも大きすぎる一点と言えるでしょう。