銀色の髪のアギト
2006/01/29 20:36 - か・が行
「青の6号」 「戦闘妖精雪風」 「ラストエグザイル」 「巌窟王」 等、数々のすばらしいハイクオリティ映像を送り出すアニメスタジオ GONZO 。
この会社に足りないものは何か。
それはシナリオライターの選択眼。これに尽きるんじゃないでしょうか。
「SAMURAI 7」 ももうちょっと何とかなったんじゃないだろうか、とか、一番脚本家に恵まれなかったのは「Hellsing」だよなぁ、とか、いろいろ思いは馳せますが、それらは置きます。
まぁ GONZO がライター選ぶ権利を持っているわけじゃないでしょうから、むしろ不足しているのは「ライターに恵まれる運」と言うべきかもしれません。
その恵まれなさが如実に表れたのが、この映画「銀色の髪のアギト」だと思います。
はっきり言って、こんなどうしょーもないシナリオを、よく恥ずかし気もなく提示できたもんだ、と感心しちゃいますよ、この映画の脚本家には。
そして、こんなどうしょーもないシナリオに、よくもまぁゴーサインを出したもんだ、と感心しちゃいますよ、この映画のプロデューサーと監督には。
そういう意味では GONZO はむしろ被害者と言えましょうか。
各キャラクターの行動原理は理解できますが、観客に訴えかける物語、テーマとしては全く共感できません。
意匠や世界観など、宮崎アニメのあまりにも露骨なパッチワークはまだ目をつぶるとしても、物語のテーマすら宮崎アニメの上っ面をなぞっただけで、脚本家の想いも哲学も何もない作品を観るのは、あまりに虚しいです。
キャラの絵柄が古くさい気もするけれど、全体的な絵のグレードは数あるアニメの中でもトップレベル。 それだけにシナリオのダメさ加減との落差があまりにも激しすぎて、よけいにこの映画の評価の下落にはずみをつけているような気がします。
加えてこの映画の致命的な欠陥として挙げられるのは、あまりにもひどい演技陣。
声優の演技技法は既にマニュアル化、硬直化してしまい、今や誰が演じても新味がないから、なんとか差別化を計りたいという意気込みは理解できます。
しかし、役者としての巧者は決して声優としての巧者ではないし、元アイドルやお笑い芸人のような体得した基礎が違う人たちを抜擢するのは、決して新機軸ではなく、むしろ蛮勇と呼ぶべきものでしかありません。
宮崎アニメの声優人選についての欠陥部分を純粋培養したらどうなるか、というのを見せつけられた気がします。
絵、話、演技の三大要素うち、いくら絵が突出して優れていても、他の二つが救いようもない作品は、そりゃ観客動員数も売り上げも見込めないでしょうね。