SAYURI
2006/02/03 21:24 - さ・ざ行
芸者に中国人を起用したり、妹が姉を「佐津」と呼び捨てにしてたり、そもそもセリフが英語だったり、でも master や patron ではなく "dan-na" 、sister ではなく "one-san" と日本語単語が頻出したりと、中途半端に日本と西洋が混じり合った異形な世界が、西洋人にはグーなんでしょうね(単語については原作がそうなのかも知れませんが)。
まぁただ単に西洋人のエキゾチシズムを満足させるためだけの映画であって、日本という異文化を尊重しようなんて気持ちはさらさらないんでしょう、おそらくは。
それにしても、この映画を見ている最中にずっと感じ続けていた、とてつもない違和感にはいろいろ考えさせされるものがありました。
陸蒸気もありました。ラジオもありました。紙巻きタバコもありました。でも「盟友ヒトラー云々」というニュースアナウンスが入るまで、これが昭和20年前後の話だなんて、とてもじゃないが想像できませんでしたよ。
どう見たって、昭和はおろか大正明治ですらなく、江戸時代の舞台背景じゃないか、という思いは消えません。
そして、芸者と花魁を混同しているんじゃないか、という思いもまた消えません。
ですが、自らを省みると、そういった疑念を断固否定できるほど、芸者文化という自国の文化について知らないということに気づかされました。
そしてまた、それは芸者文化にとどまらず、自国の歴史や文化全般にあてはまることであることも思い知らされました。
大げさなことを言えば、自分の日本人としてのアイデンティティを大いに揺さぶられた、そんな映画です。