姑獲鳥の夏
2006/02/19 20:14 - あ行
うーん、やっぱ実写化は無謀だったのでは……
そもそも京極堂シリーズは、推理小説の体裁を借りた、在野の好事家による妖怪解釈についての学術論文とでも呼ぶべきものであって、決して物語として楽しむものじゃない。
それでもあえて物語的な魅力は何かと考えると、衒学的で高飛車な長広舌をふるう古本屋、唯我独尊なエキセントリックさで周りを掻き乱す探偵、歪んで肥大した自我を持つ煮え切らない小説家、といった登場人物のキャラ萌えという部分でしょう。
ならば映画の肝となるのは、主役中の主役である京極堂のキャラを立たせること。要はしゃべりの演技だと思います。
あの膨大かつ難解なセリフは、その方面の興味や知識がない人の場合、覚えるので精一杯。 それをある程度の長さのシーケンスで、しゃべりに加えて動作の演技もつけるなんて至難の業。
撮影前のインタビューで堤真一本人もそういう意味のことを言っていたし、実際、棒読みと呼んで差し支えないレベルにしか達していなかったと思う。
アニメの吹き替えみたいに、台本を読みながら演技がおこなえ、なおかつ、録音テープのカット&ペーストで調整ができるくらいのハンデをつけないと、どれだけ実力を持った演技者でもムリ。
つまり、映画としては初めから失敗することが予定されていた作品と言えるでしょう。
せめてビジュアルイメージが輝いていれば、まだ納得いったんだけどなぁ。 ウルトラマンマックスの「胡蝶の夢」や「狙われない街」くらいの映像は見せていただかないと。
実相寺テイストがかなり薄味で、そっち方面でも納得がいきません。