秒速5センチメートル
2007/09/17 20:07 - は・ば・ぱ・う゛行
「雲のむこう、約束の場所」までは、新海誠という人をまだ肯定的に捉えていましたが、三作目にあたる「秒速5センチメートル」を観て、私はこの人の作品にもう関わらないことにしました。
SF的要素を排したという点はおおいに評価できますが、相も変わらず、ウジウジ青春テイストだけで押す物語不在の作品をこれ以上観るようなムダな時間の使い方ができるほど、私は暇ではありません。
取り立てていうべきこともない日常の出来事を、自分の世界崩壊につながる重大事件にまで拡大解釈する肥大化した自我は青春の特権です。 そしてそんな心情をテーマに作品を作ることももちろんアリです。
でもそんなメンタリティだけで物語の欠片もない作品を、そうそう何本も観続けることができるものなんでしょうか、人間は?
この自意識過剰なセンチメンタリズムで満たされた雰囲気が、好きな人にはこのうえもなくタマランのでしょうが、私は太宰治にもついていけない人なので、もうけっこうだと痛切に感じました。
第一話。
あのー、栃木は北陸じゃありませんよ?
登場人物が焦り思い悩むための舞台装置として、何十年に一度あるかないかというような豪雪を物語にムリヤリ当て嵌めた感があまりに強って、醒めちゃいましたよ。
第二話。
ロケットの軌跡に残る雲の、ある程度の時間を経過した後の形態と、その雲の左側にできていた、光条みたいに表現された影にようなものが気になりました。
あんな風になるんですかね?
そして第三話。
あれはひょっとしてアレですか? 納期に間に合わなかったんですか? そんでしかたなく走馬燈編集したんですか?
まあたぶん意図的にああいう風にしたんでしょうが、そもそも第一話と第二話の物語が薄いなんてもんじゃない。何も語っていない。 そんな状態にもってきて第三話でああいう回想的手法を採られても、観ているこっちは困惑するだけです。
加えてそのときにずっとかかり続ける歌にゲンナリしました。これでもかとこれでもかとばかりに、何度も何度も何度も何度もリフレインされる思い入れ過剰なしつっこい声にすっかり胸焼けがする思いです。
私の嗜好として、青春を前面に押し出したものは大キライです。
でもそんな恥ずかしい青春フレーバーをいくら漂わせていても、物語がしっかりしていれば評価に値する作品はある、と思うくらいの理性と節度は持ち合わせているつもりです。
今まで新海誠作品は、池袋新文芸坐のオールナイトなどで、ついでの機会に観てきました。
しかし今後は、ついでの機会があったとしても観ることはないでしょう。