サイレン
2006/03/02 21:18 - さ・ざ行
幽霊や悪魔、妖怪などの超常現象によるホラー。
狂気や執念、悪意などの人間の心の闇を扱ったホラー。
私は、ホラーはこの2種類に分類できると考えています。
要は、恐怖に晒される人間(観客が感情移入をする対象である主人公)が、敵である恐怖をもたらすモノとガチンコ勝負できるかどうかです。
スーパーナチュラルな存在である前者の場合、基本的に人間に勝ち目はありません。
書き手は物語の端々で観客をぬか喜びをさせますが、それはあくまでの小手先だけのテクニック。 主人公はただひたすら怯え逃げ惑うしかなすすべがない。そして最後はどう足掻いても死ぬしかない。
観客は、確実な破滅へと至る道程を辿り、骨の髄まで絶望する、それがこの手のホラーの観方と言えるでしょう。
逆に、得体が知れないという恐怖や狂気による異常な怪力などに脅かされるとは言え、後者の場合、相手はしょせん人間なので、こちら(主人公=観客)にも勝てる見込みがあります。
物語の展開は主人公と敵の知恵比べ力比べということになり、書き手が達者ならば、定石や破格を巧く繰り出し使い分けるでしょう。 そして観客は落胆したり安堵したり、いろいろと楽しめるわけです。
斯様に前者と後者では観方の文法が違います。 ゆえに私は、それらをお互いに越境させるのは大いに問題があると思います。
より厳密に言うと前者が後者に浸食するのは、イカンだろ、ということです。 後者に浸食した前者は、何でもアリの都合の良い言い訳になってしまいます。それは作り手としてあまりにも安直な態度というもの。
途中まで装うというのは別ですよ。 前者に見せかけておいて実は後者でした、というのは一向にかまわない。
実際、赤い少女の存在さえ無視すれば、映像的にも造形的にもけっこう面白かったし、精神異常者によるサイコ・ホラーとして、割とよくできた映画だったと思います。
ところが、赤い少女が最後まで居座っていたせいで、前者だか後者だか曖昧になってしまい、作品としてのピントがボケてしまった。その点が残念です。
その他にもいろいろ細かい点で問題があると感じていますが、それはまあ置きます。
評価したい点をいくつか。
エンドクレジットで、島民と人魚の伝説を、観客にきちんと分かるように流したのは親切で良い。
阿部寛のリアルタイム時の映像とコンピュータのムービー画像とを対比させ、サイレンの正体への伏線としていたのは、感心させられました。
そして実はサイレンは3度ではなく4度だったと分かる~エンドクレジット~真のエンドシーンというつなぎは、見事な定石の締め方だと思います。
あと、エンドクレジットは、映像的にも音楽的にもスタイリッシュで、とても私好みでした。
ただ興行成績はかなり悲惨なようですね。
まぁ仕方ないけど。ホラーなのに全然怖くないのは如何なものかと思います。