エイリアンVS.プレデター
2008/01/02 18:13 - あ行
クロスオーバーものはアメコミではよくありますが、まさか映画でも実現するとは。
そういう企画があるという情報を聞いたときはガセだろうと思っていたんですが、あれよあれよという間に劇場公開。
ハリウッド、というか20世紀フォックスは、そんなにせっぱつまってるんですかねぇ。
というのが劇場公開時の印象。
私はエイリアンシリーズは大好きで(除く「エイリアン2」)何度も何度も観てますが、プレデターシリーズはまともに観たことがありません。シュワルツェネッガーのはTVでやっているのを横目でチラチラ見た程度、「プレデター2」に至っては観たことすらありません。
なので、エイリアンとプレデター夢の対決的な惹句にもまったく興味を抱けず、劇場公開時にわざわざ映画館まで行って観るようなことはしませんでした。
「AVP2」はファーストデーだし観てみようかな、と思いまして、2を観る前に1を観ておきたいワタクシはこの度DVDを借りて観たわけです。
エイリアン派の私としては、全エイリアンシリーズからまんべんなく、そのシリーズで新たに付与されたエイリアンの性質が取り入れられていて、その点だけはけっこう萌えました。
4からは群れ全体を有利にするために少数の犠牲を払うという習性。
3からは宿主によって異なるエイリアン成体の形態および機能。
2からはマザーエイリアンとエイリアンの群集。
1からはハガーやバスター、繭その他諸々のエイリアン全般。
そして忘れちゃいけないランス・ヘンリクセン。
でもプレデター側については、ちょっとどうなのよ、と思わざるを得ません。
古代から地球を訪れていて人間たちに文明を授けたという設定。
エイリアンの巣窟であるピラミッドから生還することがプレデターの通過儀礼であるという設定。
そういった後付設定は別に良いんです、面白くなるんなら。
でもね。
その通過儀礼のために飼育されるエイリアンの餌に過ぎない人間、プレデターのオリジナル設定では狩るべき対象である人間、そんな劣等生物である人間如きと偉大なる捕食者様が共闘するってのは如何なものか。あまつさえ戦士として認めてしまうというのはイカンのではないか。
やっぱりエイリアンとプレデターは彼等同士のロジックで凄惨な戦闘を繰り広げ、非力な人間たちは不運にもその戦闘に巻き込まれ、その不条理な状況と己の無力さに絶望しながら死んでいく、というのが正しいあり方なんじゃないでしょうか。
しかしまぁ、片やエイリアン、片やプレデター。20世紀フォックスが生んだ二大異形キャラクターの激突というこの映画は、それぞれのシリーズは無視して、うおーエイリアンとプレデターが闘ってるぜスゲぇぜ! てな感じで、余計なことは考えずに、ただ単にお祭り騒ぎ的な観方をするべき映画なんでしょうね。