AVP2 エイリアンズ VS. プレデター
2008/01/03 19:25 - あ行
前作より優れている点は、エイリアン、プレデター、人間がいずれも理解しあわないところ。
エイリアンは本能に基づいた繁殖。
プレデターはエイリアンの掃討。
人間は何が起きているのか理解できず悲鳴を上げながら逃げまどう。
これよこれ。
やっぱりエイリアン、プレデター、人間はそれぞれ別次元の生理心理で生きている生命体なんだから、永遠のディスコミュニケーションが当然でしょう。
エイリアン、そしてプレデターという人智を越えるパワーを持った物同士の壮絶なアクション。
そんな二つの強大な力の激突に巻き込まれ理不尽に蹂躙される人間たちは、なすすべもなく、切り刻まれたり踏みつぶされたり食い散らかされたりといった無惨な屍と化す。
エイリアン対プレデターという企画が出た時点でこういうアクション&スプラッター映画になる以外どのような展開が設定され得るというのか。
そういう意味では、この映画のあり方は実に正しいと賞賛すべきものでしょう。
問題なのは、そういうシーンが始まるまでの前置きが長すぎるだろ、ってこと。
血みどろの惨劇が始まる前の、取るに足らないちっぽけな人間ドラマなんかどーでもいいから、もっとプレデリアンとプレデターとの肉弾戦や、人間による怪物どもへの銃撃戦といったアクションシーンを充実させて欲しかったものです。
重要な伏線であったり、知り合いが死ぬことへの強烈な怒りとかに結びつくようなものであるなら、人間同士のドラマをいれるべきですよ。
でも、青臭い恋愛話だのチンピラじみた恋の鞘当てなんか、全然本筋に絡まないじゃん。
愛する女はあっさり手裏剣の餌食になるし(この部分はグッド。人間の無力さ、運命の理不尽さ、プレデターと人間のディスコミュニケーションを表現していて実に良い)、そんな女の無惨な姿を見ても男はカミカゼかますわけじゃない。
ムショ帰りの必然性もまったくないしな。
ムダな場面はそぎ落として、もっとテーマをクッキリと浮かび上がらせていただきたいものです。
まぁ、あと、お祭り映画として観るなら、ラストの日系人Y氏が萌えポイントですかねー。