「墓場鬼太郎」第3話『吸血木』雑感
2008/01/28 22:52 - 墓場鬼太郎
第3話に対して事前に抱いていた不安要素は、声優どころか役者自体を業としていない二人の声の演技についてでした。
ピエール瀧はいろいろな映画とかCMとかいろいろ出てるけど、「ローレライ」や「ガスパッチョ」を見る限り、演技者としての実力がそれほど高い人という感じはしません(私としては「人生」の人であり「電気グルーブ」の人というイメージがまだまだ強いせいかもしれませんが)。
中川翔子は「オールナイトニッポン」の鬼太郎特集で流れた『手』での演技が、しょこたんの素のまんまだったので、とても不安に感じていました(「アイシールド21」で声優をやっているということは知りませんでした)。
しかしそのふたりの演技は作品世界を破壊するような酷いものでは決してなく、声優でない人としてはむしろ大健闘ともいうべきものでした。
瀧に関してはとりわけ良いとも思わないがとりわけ悪くもないという空気な感じですが、中川翔子の抑えたしゃべりはとても良かったですねー。
この件に関しては、不安はまったくの杞憂だったわけです。
しかし良いことばかりは続かないもの。
不安要素を遙か彼方に上回るトンデモな展開を見るハメになろうとは!
この第3話で、今回のシリーズ構成が、「墓場鬼太郎」という作品の雰囲気を毀損しかねない(毀損した?)最悪のシリーズ構成であるらしいことが判明し、おおいにショックを受けました。
さらに、泣きっ面に蜂と言いますか、シナリオライターの極私的ルサンチマンが原作を完膚無きまでに汚染した、最凶最悪の脚本を見せつけられるという追い討ちまでかけられ、しばらく立ち直れそうもありません。
公式で発表されている、今回アニメ化するエピソードは以下のとおりです。
- 「妖奇伝/幽霊一家」
- 「地獄の片道切符」
- 「下宿屋」
- 「あう時はいつも死人」
- 「吸血木と猫娘」
- 「地獄の散歩道」
- 「水神様が町へやってきた」
- 「顔の中の敵」
- 「怪奇一番勝負」
- 「霧の中のジョニー」
- 「ボクは新入生」
- 「怪奇オリンピック―アホな男―」
「妖奇伝/幽霊一家」~「顔の中の敵」は各エピソードが強く結びついており、特に「吸血木と猫娘」~「顔の中の敵」の4エピソードは続き物です。これらのエピソード群でひとつの長編と捉えることができます。
のちに「鬼太郎夜話」としてリライトされたことからも、そのことはうかがえましょう。
一方「怪奇一番勝負」以降の4本はそれぞれ独立した短編という側面を持っています。
さて、第1話は「妖奇伝/幽霊一家」と「地獄の片道切符」のカップリング、第2話は「下宿屋」と「あう時はいつも死人」の融合という、穏当なシナリオ運びでした。
そして今エントリーで話題にする第3話はというと、あろうことか「吸血木と猫娘」「地獄の散歩道」「水神様が町へやってきた」を粉々に解体し、『吸血木』に関わる部分を抜き出して1本の話に再構成するという狼藉に及んでいます。
「吸血木と猫娘」
「地獄の散歩道」
所収巻
「水神様が町へやってきた」
所収巻
夜話篇は、伏線の張り方と回収がなかなか見事にキマっており、それぞれのエピソードが有機的に結びついています。
おそらくこのアニメ化では、後半の独立短編ものとカラーをそろえるため、各話を一話独立的な疎結合な作りにするつもりなんでしょう。
その結果、こともあろうに、濃密に結びついていた「吸血木セクション」「寝子セクション」「ニセ鬼太郎セクション」「水神セクション」を分解し、それぞれ一話に収める方針を採ったようです。
各セクションの接着剤となっている原作のシーケンスはどれもこれもユーモラスで楽しいものばかり。
「墓場鬼太郎」の、怪奇性と並ぶ二本柱のひとつであるユーモアをこうもバッサリと切り捨てるとは驚愕を禁じ得ません。
あたかもバラバラ殺人の死体を見せられているような、そら恐ろしさを感じます。
>「しかしこの成長はいささか速すぎる。なにやら不吉なことが起きる予感がする」
と、劇中、ねずみ男に言わしめているが、それは見てるこっちのセリフだよ。
「齧られる脳みそ」も「助部支配人とのやりとり」も「不動産屋との漫才(ものの見事に削除されていましたね!)」も「ナンダカ族から巻き上げる貯金通帳」も、ことによると「借金取立て」も、面白エピソードが何もかも省かれてしまうのか! ユーモアの絞り滓。味も素っ気もないスッカスカの墓場鬼太郎! 考えるだに恐ろしい、ブルブル。
加えて今回最悪なのはその脚本。
この脚本家、原作マンガは「墓場鬼太郎」はおろか、もしかしたら「ゲゲゲの鬼太郎」すら読んだことがない、3期世代なのかもしれない(年齢的には2期世代のようだが)。
>「嫉妬したのか私の名声に」
>「そのとおり! あの終電でお前が私を蔑んだとき決意したのだ」
アホだ。なんてアホなセリフだ。
ねずみ男はたとえ有名人であろうと、只の人間如きを心底から妬むような感情は持ちあわせていないと思うがなぁ。 特に怪奇なものを追い求めているときには、人間が蟻をつぶすような、次元の異なる存在同士のディスコミュニケーションであり、意志の交流は微塵もありはしないんじゃなかろうか。
それに水木作品からは、作者による社会に対する恨みつらみといった負のオーラはあったとしても、読んでいる方が滅入るようなこんなストレートな形では感じられないですよ。
『突撃! 悪魔くん』を読むと、貸本版「悪魔くん」はかなり強いルサンチマンの元に描かれた作品だけど、それですらああいうスっとぼけた雰囲気の作品なんだけどなぁ。
他の作品でも、社会に対する不満は描かれているけれど、それをユーモアというオブラートに包んで、実におかしみのある表現がなされていて、むしろ心が和むと言ってよろしい。
勝ち組だの負け組みだの、嫉妬だの妬みだの嫉みだの、この脚本家、よっぽどの小物なんだな。晩成なのに小器とは哀れというべきか。
こっちにまで出張ってこないで「5期ゲゲゲ」だけ書いててくれ、と言いたい。
オレ的DVD購入意欲は前回まで90%だったのに、ここにきて一気に30%にまで下落しましたよ。
まぁそんな目も当てられない愚劣なシナリオですが、たった一筋だけ未来への光明が差しました。
それは寝子の次の一言。
>「私、大空つばめさんの次にトランプ重井さんのファンなんです」
わざわざ「大空つばめ」という固有名詞を出すからには、当然「水神様が町へやってきた」では、庶民に猛烈なホコリをかけてフォードが着くつばめ御殿でのエピソードがアニメ化されるんだろう。ことによると警視総監とパンツもアニメになるのか? これは燃えるな!
深読みしすぎのぬか喜びだったらヤだなぁ……