「墓場鬼太郎」第6話『水神様』雑感
2008/02/18 22:22 - 墓場鬼太郎
いくら絶賛してもし足りないくらい超ハイクオリティなグラフィックに対し、なぜこんなに低レベルなシナリオなのか、と原作厨な私は今まで不平不満を書き綴ってきました。
そんなアニメ「墓場鬼太郎」も鬼太郎夜話篇を残すところ二話となったこの回で、とうとうやってくれましたよ。
原作に忠実であることに加え、原作を超える見事な独自シナリオも展開された今回の脚本は実にすばらしかったですね。
ただ、鬼太郎を過度に悪辣な卑劣漢に仕立て上げようとするのはやめてくれませんかねー。
今回の場合でいうと、「じゃあ」のシーケンスのこと。
もちろん水木を助ける必要はさらさら無いけど、わざわざ原作に存在しないああいうエピソードを挿入してまで、鬼太郎を悪意の塊に描こうとする理由が理解できない。
こんなんに尺を使うんなら、物の怪との二人同行にもっと時間を割いてくれ。
推察するに『怪奇一番勝負』での鬼太郎の行為をベースに性格設計をしたんでしょう。あの回の鬼太郎は人間の側に立つとかなり理不尽だからなぁ。
でも『怪奇一番勝負』の鬼太郎も決して自分自身のエゴイズムから人間に対して理不尽な行為に及んでいるのではない、ということをシリーズ構成者には汲み取ってほしいもの。
あれは、鬼太郎が孤独な「生きた霊」の話し相手になっている家をたまたま買ったのが金田で、その金田と鬼太郎との衝突からああいう惨劇が生じたのであり、決して鬼太郎が自らの欲望のためにあの家を乗っ取っろうとしたてたわけじゃない。言ってみれば先住民と移民との間に起きた不幸な出来事という見方もできる事件です。
ところが現在アニメで描かれている鬼太郎は、あくまでも自分のエゴゆえの鬼畜外道。それはいくら何でも非道すぎるってもんです。
あと、水神への借金取立て場面。
原作では最初は慇懃に丁寧語を使い、痺れ薬で相手が手も足も出せなくなった時点で初めて高飛車な態度に出る。そうすることで、強い者には諂い弱い者は叩く狡猾さと用心深さがよく表現されるのです。
一方アニメでは、マッチを投げ返されてキレた鬼太郎が乱暴な言葉と共に痺れ薬を振り掛けるという手順になっている。 これじゃただの我慢の足りない子どもだよ。無鉄砲で考えなしのバカに過ぎなくなっている。 これはいただけませんね。
「水神様が町にやってきた」
「顔の中の敵」
所収巻
でもその二点以外、今回の脚本はかなり良かったです。
特に良かったところを挙げると。
まずは、庶民に猛烈なホコリをかけてフォードが走るシーンを描いていたこと。
これは原作に無いけど原作っぽい感じで実に良いですね。
次に、「コッペパンのためだ!」の鬼太郎の心象を戦場の場面として描いていたこと。
これはちょっとデリケートなアレンジで、原作っぽいと言うのは躊躇われるけど、個人的には好きなアレンジ。
以上が原作を超えたアレンジで萌えた部分。
原作に忠実という部分では、やはり水神を祭る老女たちとの絡みが良かったですねぇ。最高っす。
ところで、今まで一話完結的にしようとして無理矢理分断してきた各エピソードですが、とうとう夜話篇ラスト二話は前後編の続き物になりました。
まぁ、おとなりのゼントルマンによる水神退治まで一話に収めるのは無理な相談。 こうなるのは当然のことだとは思いますが、でもだったら「吸血木」も分断しないでほしかったなあ。
でもまぁこのレベルの脚本で最終回まで飛ばしてくれれば言うことなしですよ。DVD購入意欲が98%にまで一気に急上昇。
あ、でもおそらく最終回になるであろう『怪奇オリンピック―アホな男―』はちょっと不満が残りそうな予感。 きっとヤクザの親分への輸血ネタはばっさりカットされるだろうから。
でもアレは「あの世保険」だけにした方が実際お話としてはスッキリはするんだよねー。 水木先生本人も「あの世保険」の部分だけ抜き出してをリメイクしているし。
もしこのアニメが2クールで輸血ネタが放送コードに引っかからなければ、ヤクザの親分への輸血エピソードとあの世保険エピソードは分断してアニメ化しただろうしなぁ。