アース
2008/03/01 13:37 - あ行
「ディープ・ブルー」に続く、英BBCによるネイチャードキュメンタリー映画。
被写体は確かにすばらしいんだけどねぇ、映画として観るとねぇ…… という前作同様ビミョーな作品。
前作「ディープ・ブルー」は、映画全体としてのテーマも構成のコンセプトも何にもない、単なるスゴい映像の寄せ集めに過ぎない代物だった。
今作では、北極から南極への地球縦断というおおまかな筋道は一応立ててある。 しかしそれは物語を紡ぐための核となるものでは決して無く、ただ単に流される映像の撮影場所をそういう順番に並べているだけに過ぎない。
今回も訴えるテーマも構成のコンセプトも存在しなかった。
しょせんは単なる環境ビデオ的な映像に過ぎず、映画はおろかドキュメンタリー映像にすらなっていない。最後の取ってつけた地球温暖化云々のお題目が実に虚しい。
だいたい「ストップ地球温暖化、多様性のある自然を次代へ」ってことなら、人間による環境破壊の場面を出さないと伝わらないでしょう。
敢えて、人間が地球に与える脅威を映像として写し出さずに、動物や植物、天然自然の営みの映像だけを見せることで自然保護を訴えるつもりなら、被写体のバラエティさが圧倒的に足りない。あれの他に最低でもガラパゴスとオーストラリアは出さないと。
バラエティに富んだ、個体数的にではなく種族数的に数多くの動物たちの生態の映像を、カタログ的に網羅する作りにすべきだったのでは、と思う。
映画作品として観たときに訴えるべき何かが見えてこない、という点に加え、映像的にも物足りなさがある。 被写体はすばらしいが、超ロングを多用し過ぎて、何がなんだか分からないカットが多々あるのは如何なものか。 被写界深度も始終広すぎて平板な映像という印象しか残りませんでした。
そして一番気に入らない点。それは死の臭いを極力排除しようとする態度。
トナカイの仔が狼に追いつかれる、インパラがチータに捕まる、ゾウがライオンの群れに襲われる、オットセイがホオジロザメに呑みこまれる、といった弱肉強食のシーンが
肉食動物が草食動物を捕まえた瞬間で映像ぶった切って別のエピソードを始めたり、ゾウのに至っては落雷の映像とつないでいる。 動物ドキュメンタリーでそんなリリカルな表現すんなよ。
唯一の例外として、アムールヒョウがトナカイか何かの死骸を齧っている映像があったけれど、表皮しか齧れず舌に絡まる体毛を吐き出しているヒョウの顔のアップだったり、トナカイの死骸が障害物に遮られて観客には見えづらいアングルで撮られていたりと、とにかく流血や死骸を極力見せないように撮影している。
「グレート・ハンティング」みたいにする必要はないけど、動物ドキュメンタリーとして成り立たないでしょうコレじゃ。
詩情なんていう人間の価値観を持ち込まず、食物連鎖の冷徹で厳格な現実をフィルムに焼きつけましょうよ。
そして、そんな死と隣り合わせという無常な状況にありながらも、種を次世代につなぐためにニューギニアの鳥は多種多様な姿と求愛ダンスを発達させ、一瞬一瞬を懸命に生きている、そんな場面を人間の主観を排除して上映しましょうよ。
そして、そんな素晴らしくも美しい生の営みを、鳥に限らず、この地球に生きとし生ける、ありとあらゆる動物・植物たちが繰り広げている。それが自然、それが地球。ということを客観的に訴えましょうよ。
観客は、そんな自然の壮大さ・複雑さを見、生命の神秘を知ることで、人間以外の生き物たちに
人命よりも動物たちの命を重んずる動物愛護精神溢れる英国人の、これが限界なんですかね。 この映像は欺瞞に満ち過ぎていて、観ている方は歪んだ自然観しか持てなくなりますよ?
「生きものばんざい」や「マチャアキ海を行く」、あと動物オンリーじゃないけど「知られざる世界」や「すばらしい世界旅行」といった、昔、各TV局が放映していたドキュメンタリー番組の方がよっぽど良質で、教育的見地からははるかに有益だったような気がするなぁ。