「墓場鬼太郎」第9話『霧の中のジョニー』雑感
2008/03/10 21:13 - 墓場鬼太郎
なぜパン屋の店構えが、OPでは忠実に再現されている原作とは違うものになっているのか? 軒先で対面販売するあの造りは、まさしくこれぞ昭和レトロといった趣を体現していて実にイイ感じなのに…… なぜアニメではあんな中途半端にモダンな店舗構造にしてしまったのか、まったく理解できません。
初っ端も初っ端、いきなり出鼻をくじかれ、ああっこの回は久々の失敗作かっ? 大塚周夫先生大活躍の回になんてことしやがる! と、開始一秒未満にも関わらずいきなり性急な判断をしかねない不安定な心理状態に陥ったのでありました。
でも『水神様』~『怪奇一番勝負』まで、ここ数話の出来があまりにも神レベルだったので、傍から見れば欠点でも何でもないちょっとした事なのに、あたかも重大な欠点であるかの如く認識してしまったのかもしれないなぁ、と考え直して、続きを見守ることにしました。
「霧の中のジョニー」所収巻
そしてその後は原作準拠で良い感じの雰囲気が続いていた(「ムケケのケ」などという愚にもつかないセリフがあるとは言え)のに、まさか最後の最後でやらかしてくれるとは……
目玉「パンツぐらい履いたらどうだ」
ねずみ「親子みたいでしょ」
ワケわからん。
そもそもねずみ男はパンツ履いてるんだから、目玉のセリフがまずおかしい。
そしてねずみ男は全裸じゃないんだから、親子みたいってのは意味を成さない。
この破綻は脚本家と作画監督との意思疎通が、しっかりとなされていなかったってことなのかなぁ。
脚本段階のねずみ男は原作どおり全裸という設定だったんではなかろうか。しかし全裸は放送コード的に問題があるので、作画段階でパンツを履かせた、そしてそのことが脚本家にフィードバックされなかったため、こんな破綻をきたしてしまった、というのが実状なのではないか、と推察します。
もっとも原作どおり「ゼントルマンのエチケット」にしとけば変なのは目玉のセリフだけで済んだんだから、脚本家の咎と言えば咎かなぁ。なにしろ第3話『吸血木』でも、やらかしてくれた彼だからな。
最初に作画面で、最後に脚本面で、絵・話両方からミソをつけてくれた回でした。
興味深かった点をひとつ。
ジョニーが樽の蛇口をひねってコップに血を注ぐ場面の描かれ方に、深夜にも関わらず地上波アニメでは、血液描写というはとことんダメなんだなぁ、ということを強く印象づけられました。
コップに対し蛇口を深く差し込んでいるため迸る血液が見えないように描かれている。 その代わりに、蛇口をひねった途端、水木マンガ特有の靄のようにたなびく白いモノが赤く染まった。 このほのめかしは制限を考えると、実に巧みで見事な演出ですね。
いよいよ次回は墓場鬼太郎で個人的に最も好きなエピソード「ボクは新入生」を原作とした『ブリガドーン』が放送されます。
カロリーヌちゃんの声は誰なのかが気になって気になって仕方ない。三輪勝恵だったら卒倒しちゃうかもしれん。
(追記 2008/03/11)
野沢雅子先生の事務所「オフィス野沢」のウェブサイトのNEWSページ、2008/02/21分によると、カロリーヌちゃんは江原詩織という人が演じるらしい。
『霧の中のジョニー』のEDを見るとウエイトレス役で名前が出ているね。
ウエイトレスってことは喫茶「一流」のなんだろうけど、店では、ねずみ男とジョニー以外は、複数の声が怪訝そうに「あ?」って言っているだけだぞ。
何遍見直してもどの声がウエイトレスの声なんだか分からないよ。一番遅れて声を出している女性かなぁ。