「墓場鬼太郎」第10話『ブリガドーン』雑感
2008/03/17 22:05 - 墓場鬼太郎
前回のエンディングに流れた予告編に、なんかカロリーヌちゃんがデレデレしている絵がありましたね(ワタシぃ、ダメな男が好みなの)。
あっ、これはもしかして、ここ数回と違い『ブリガドーン』はオリジナル要素満載なのか? と一瞬不安を覚えたものです。
いざ、蓋を開けてみると、中途半端に原作準拠、中途半端にオリジナル要素という、なんともコメントしづらい回となっていました。
とは言っても、核心の部分はキッチリ原作に準拠なので、普通だったら手放しで喜ぶべきところですが、なにしろ、『霧の中のジョニー』のときにも書いたように『水神様』~『怪奇一番勝負』までが、原作厨も狂喜乱舞な原作再現度の高さで、原作から外れる部分(主に尺の関係によるショートカット)もツボを押さえたものであったため、今回のオリジナル部分 は多少鼻につきました。
まずは、喫茶店での鬼太郎のセリフ。「争いを繰り返す愚かな人間どもよ」っての。
でもまぁカロリーヌちゃんの前でいいところを見せようとするのは、鬼太郎の性格上ありそうだから、この改変は有りと言えば有りかな。
深大寺スキヤキパーティ
所収巻
「ボクは新入生」所収巻
あと、ファンサービス的にビート族絡みのエレメントがふたつアペンドされていましたが、ひとつは多少勘違いしているかなぁ、という印象を受けました。
鬼太郎が水木の家に居候を始めたときに見ているTVニュースで「ビート族がうんぬん」と言ってますが、マンガの墓場鬼太郎読者、アニメの墓場鬼太郎の視聴者にとって面白いのは、かつて実際に存在した社会現象としてのビート族では断じて無い。あくまでも水木先生が描いた鬼太郎とビート族の交わりの物語が面白いものなのである。
だからこんな形でビート族を出すのは尺の無駄遣いというもの。お化けファッションうんぬんはアドバラナと遭遇した時になされた目玉の説明だけで充分です。
一方、
声について。
今回も大塚先生の芝居に激燃えでした。
「(二枚目声で)奇遇だなぁボクも」「(デレ声で)カロリーヌちゅわーん、ゆきましょー」の二つが特に萌え。
カロリーヌちゃんがごく普通の女の子の声だったのには、ちょっと違和感を覚えました。
まぁこれはゲゲゲ第1期「朧車」で三輪勝恵さんの声(ダケジャナイ、テイジン!<それはカトリーヌ)が刷り込まれているからですが(第3期映画「激突!!異次元妖怪の大反乱」は脳内メモリーから綺麗サッパリ削除しました)、でも江原詩織さんの声も悪くないです。てゆうかむしろイイ!
このカワイイ声とだめんず好きという性格設定のおかげでカロリーヌちゃんが一気に萌えキャラ化してかなりヤバイっす。
そしてトムポ師。
もう京極夏彦先生には土下座してお詫びしたいです。
第4期「言霊使いの罠!」の一刻堂には、声優的な喋りは巧かったけど、でも京極夏彦自分自身だから演技とはいえないよなあ、という印象を抱いていました。
で今回、トムポ師という京極夏彦本人とはかけはなれたキャラを演じきれるのかなぁ、と多少不安に感じていました。
実際のオンエアーを見て、その老人風に作った声質、気持ち外国人風のしゃべり方の抑揚・間の、あまりの巧さに衝撃を受けました。京極先生ごめんなさい。
今回、一番感動したのは、やはりブリガドーンが離れるときの絵作り。これに尽きるでしょう。
風景は溶暗し、キャラは白い影になる。「こりゃあ一体どうしたんだ」「ブリガドーンが動き出したのよ」という、声ではなく文字での説明。実に素晴らしい。
このあたり原作では「こりゃあ一体どうしたんだ」だけが地に書かれた文字で、あとは吹き出しに書かれたセリフになっています。
アニメでは、このあたりのセリフは順番を入れ替えすべてを使ったうえで上記のようなものとしてしました。
この部分、製作スタッフの強い思い入れとこだわりに感じ入りましたよ。
終わりよければ、すべてよし!! このブリガドーンが離れる場面が、あまりにも素晴らしかったので、この回はそれでもう神回。
おっと忘れちゃいけない。ブリガドーンを外部から見たときの渦巻く雲の表現も実に素晴らしかったですね。