Sweet Rain 死神の精度
2008/04/04 22:14 - さ・ざ行
冒頭、水たまりに写りこむビルを見て、うーむ、これは…… と不安を感じ、瞬く間に枯れる花を見て、あちゃー、やっちゃった、と深く失望。霧の立ちこめる死神世界を見て、もうどうでもいい気分になる。
この映画の制作にクレジットされている ROBOT って『ジュブナイル(2000年)』とか『リターナー(2002年)』とか制作した会社だろ。
いくら ROBOT が VFX 関連の会社じゃないからといっても、かつて携わった10年近くも前の上記映画より遥かに劣化した VFX を平気でスクリーンに垂れ流す神経が理解できない。 いくらCGは添え物に過ぎない映画だとしてもだ。
でもいいんだ。 そもそも小西真奈美が目当てなんだしぃ、と思いながら観続けていたら…… 肝心の小西真奈美があっという間に退場?!
映画ポスターで並んでいる小西真奈美と富司純子を見た時に、この二人はそういう関係なんだろうなぁとピンときましたし、役名を見たときにそれが確信に変わりましたよ。 そんなわけで、小西真奈美は映画全編に出るわけじゃなさそうだなぁと覚悟はしてましたが、まさか三つのオムニバスという構成で、そのうちの一番目にしか出ていないとは、小西真奈美を観に行った私としてはションボリする以外なすすべなし。
だったらせめて物語を楽しもう、と方向転換を余儀なくされたわけですが、三つの物語いずれも、うーん、ちょっとなぁ……
一話目、二話目で伏線張っといて、三話目でどんでん返しアーンド感動の嵐、という展開に持っていきたかったんだろうということは理解できますが、ドラマは薄いし、素っ頓狂なんで話にのめり込めないし、各ドラマ間の年数経過が映像から窺えないしで、ずっとモヤモヤしっぱなしでした。
だいたい展開が読め過ぎるんですよ。最初の女の子からしてすぐ分かる。 そして前述しましたが、ポスターでねたバレしてどうすんの。
かと思えば、一話目のストーカーの正体はあまりにも突拍子のない設定。 そして前述しましたが、どのドラマも風景や小物が全然変化していない。 最後のエピソードでは、冒頭のヒューマノイドとTVから流れるセリフで、未来世界であることを観客へ提示していますが、他の電化製品や社会制度とかも、もっと現代と異なっていないとダメでしょう。 いくらSF映画じゃないからといって、考証をないがしろにしてよいことにはなりませんよ。
とにかくリアリティなさ過ぎ。バランス悪いにもほどがある。
あと、三話目のヒューマノイドの使い方はもうちょっと何とかならなかったのか。
なんでヒューマノイドと暮らしているのか、という理由は分かりますよ。 でも作劇的に、そんな理由だけのためにヒューマノイドを登場人物として配置するのは如何なものか。 もうちょっとヒューマノイドに芝居的な役割を持たせないとイカンのではないのかねシナリオライター、と強く感じました。
そして一番ガッカリだったのは、人間よりも高次元な存在である死神様に向かって、人間如き卑小な存在が説教を垂れるラストシーン。
人間賛歌を謳いあげたいというのは分かるけど、あまりにも安直でしょう。 人間が高次の存在である森羅万象や自然の摂理に向かって上から目線であれこれ言い、それで高次な存在の心を揺さぶるなんてのは。
晴れるのはお約束とはいえ、もうちょっと展開を何とかして欲しかったもの。
小西真奈美の可憐さと富司純子の演技力で、かろうじて見られる映画というのが、この作品に対する正統な評価なんでは。
あ、でも、二話目で、藤木一恵の歌をイントロの曲のみで歌唱の部分をあえて流さずに焦らすのは、ちょっと巧いな、と思いました。