ハプニング
2008/08/27 22:31 - は・ば・ぱ・う゛行
前作「レディ・イン・ザ・ウォーター」で物語ることを完全に放棄したシャマラン監督の最新作は、驚くほどに平凡な見るべきところのない映画で、こちとら脱力しまくり。
おおかた前作は、各方面どころか全方面から叱責、罵倒、苦言の嵐だったんだろうなぁ。てゆーか、干されなかったというのがむしろ驚異と申すべきでしょうか。
ところで「レディ・イン・ザ・ウォーター」は物語の放棄と書きましたが、むしろ逆に最も純粋な物語という捉え方ができないでもないけれど、その辺りの感慨はまた別の機会で述べることもあるでしょう。
「ハプニング」の話に戻します。
シャマランと言えば、最後のオチで全部ひっくり返すという、最後のオチだけがすべてな、ある意味キワモノ映画を撮り続けてきた監督。
以下本稿ではこの手法を便宜上「落語的結末」と呼びます。 またオチでひっくり返すのではない、普通に物語として決着をつける終わらせ方を「物語的結末」と、これまた便宜上呼びます。
シャマランは今作では、彼のアイデンティティとすら呼んで差し支えない「落語的結末」を封印し、「物語的結末」を指向したわけです。 ここでハッキリ見えたのは、この人やっぱり脚本家としてはどうなの? ってことではないでしょうか。
オチがないと言えば「レディ・イン・ザ・ウォーター」もそうだけど、あれは放り投げたという意味でのオチなしであって、今回の「ハプニング」がシャマラン初めての「物語的結末」採用映画だと思います。
たとえば「シックスセンス」。
私は鑑賞30分くらいでネタ割れしたので、あのラストシーンは、何でわざわざこんな分かり切ったこと説明するんだろうと不思議このうえなかった。
しかし世間一般では、あっと驚くとても良くできた結末という評価がなされ、「シックスセンス」は大傑作扱い、シャマランは一躍成功者となったわけです。
でも冷静になって「シックスセンス」を見直して欲しい。そんなに良くできた映画かなぁアレ?
続く「アンブレイカブル」「サイン」「ヴィレッジ」等々も、オチという目眩ましに惑わされずに冷静に観たとき、良くできた映画だと人に勧められます?
そんな目眩ましに惑わされていない静かな状態の心で「ハプニング」を観ると、ドキドキもガッカリもない、平凡なあまりに平凡なストーリー展開にまず拍子抜け。
そしてラストシーン。 物語としては正攻法だけど、もっとよくできた物語じゃないと、陳腐きわまりなし、としか感じられない。
まぁそれらは良いとしても、科学的に説明のつく現象が起きているという設定なのに、起きている事象が科学的にまったく納得できるものでないのはどうなのか。
死に方のことですよ。
どういう理由をつけるのかとワクワクしてたのに、そんな説明じゃリストカットや芝刈り機起動のような奇矯な方法の理由にはならん。ミツバチ関係ないし。
唯一良かったのは異変の導入部に描かれた、人間が雨のように降ってくるシーン。
着地音、地面から空を見上げたアングル、フラフラと屋根を歩きながらそのまま何もない空間に足を踏み出し直立のまま落下する多数の人々。
それらが実に見事なハーモニーを奏で、このうえなく不気味で、実に印象的な場面でした。 ここだけは素晴らしい。