ブラインドネス
2008/12/04 21:45 - は・ば・ぱ・う゛行
突然視力が失われる奇病が世界的規模で蔓延する話。
それ以外の知識を持たず映画館に向かった私です。
ざらざらしたフィルムの質感、露光オーバーで白く飛んだ被写体。 映像の雰囲気は好みです。
でもストーリーの方は何か釈然とせず、最後までモゾモゾと据わりの悪い気分に苛まれ続けました。
登場人物として白人、黒人、黄色人とありとあらゆる人種が揃っています。 同じ有色人種でもインド人っぽい人や南米っぽい人や日本人などなどいろいろな人種が出てる。 ということは現代のアメリカが舞台なんだろうな、というつもりで観ていました(結局それは間違いだったわけですが)。
しかし視力を失った患者たちが旧精神病院に隔離収容される頃から、私の認識は混乱をきたし始めます。
病棟内での様子は、あたかも19世紀の精神病患者や伝染病患者に対する態度のよう。 現代アメリカだったらこんなことはあり得ないよなぁ。 こんな杜撰なことをしてたらパンデミックを引き起こして国家の滅亡につながりかねない。
あまりにもリアリティが感じられなかったので、私はこの映画が何を描こうとしているのか分からなくなりました。
続いて映画は、極限状況に置かれた人間たちが理性をかなぐり捨て、獣に堕ちる場面を描き始めます。
でもなぁ…… 「デビルマン」の洗礼(マンガ版ですよ、言うまでもないことですが)を受けている我々日本人としては、その描かれ方があまりにも生ぬるい。この程度で極限状況に置かれた醜さ云々とか言われてもなぁ、というのが正直な意見。
そんな最悪な状況でも他人を思いやり、連帯してゆく人間の心の気高さ美しさ、に映画の描写はシフトしていきます。 女性三人のシャワーシーンは何か心打つものがある。
そして、なぜか突然最初の罹患者が視力を回復するという場面になります。 それによって世界のすべての人間が再び視力を取り戻すことを暗示して終わり。 最後まで視力を失わなかった女性についての未来の暗示もありますが、まぁそれは措きます。
視力の喪失によって、夫婦や親子といった血縁や、同一職場に勤めるといった地縁的な結びつきが崩壊し、同じ困難に立ち向かった者同士という新しい連帯感が取って代わった、ということを描いていたように思えるんですが、でもそれが何なの? 今を生きる我々にどういった感慨をもたらすの? 結局この映画は何を描きたかったの?
映画を観終えて帰宅していろいろ調べて分かったのは、この映画の原作小説は寓話らしい、ということ。 もっとも視力の喪失が何の喪失のメタファーなんだかは未だに分かりませんが。
寓話だとすると、あのようなリアリティに欠けた設定も理解できます。
何でも原作は1995年に発表されたものだそうですが、私は安部公房作品が持つ空気感を思い起こしました。
安部公房大好きですけど、やはりあの時代だったからこそ最大限に意味があった小説群だと思うんですよね。
ま、ぶっちゃけ、古臭いなぁこの映画、という認識に落ち着きました。
映像的には好きだったんですけどねー。