ファイナル・カット(2004)
2006/01/28 23:00 - は・ば・ぱ・う゛行
「おまえの死はムダにはしない」って、何だよその終わり方。
たかが、一悪徳弁護士の不正を暴く程度のことで、そんな大仰な締め方されてもなぁ。
たとえば、ゾーイ・チップは人間の脳や神経に対して悪しき副作用があった。 しかしチップにはその記録内容を密かに傍受する機能があり、国家は個人監視の手段として、チップの問題点を秘匿し、その埋め込みを全国民に義務化した。アランの犠牲は、その陰謀を暴露し、チップ廃絶の契機になったのである、っていうならこういう終わり方でもいいだろうけど。
そもそもチップ埋め込みは家庭の問題なんだし、追悼上映会がいくら故人を美化することだとはいえ、犯罪を無効にする力までは持つもんじゃない。 だいたい追悼上映会は故人の縁戚や関係者だけにおこなわれるものだから、一般大衆全般にまで『人殺しを聖人にする』効果は及ぼせない。 その程度の意義しかない追悼上映会会場で、あんなデモをやってもまったく意味がない。 デモをおこすなら、親に勝手に埋められたチップ無効化の技術の確立、および希望者へのその施術を要求して、ゾーイ社の前でおこなうのが妥当。 フィクションとして成立させるなら、そういう常識的な部分を疎かにしたらダメでしょう。
幼少時、他人を死に至らしめてしまったという罪の意識に長年苛まれていたが、実はそれは記憶の捏造で、老年期にさしかかってから、自分の脳内にあるゾーイ・チップによって事実を確認し、軛から解放されたアランは心の安らぎを得る、という部分は、アランが殺される理由とは直接的に結びついていない。 その結果、小手先だけで作られた浮ついたものになっているのも如何なものか。
アイディアに溺れて、よく練りこまずに撮られた映画って感じかなぁ。