『牧島如鳩展 ~神と仏の場所~』
2009/08/10 21:12 - アート巡り

三鷹駅南口の真ん前にはペデストリアンデッキでつながった CORAL という駅ビルがあります。
改札出てから1分未満という絶好なロケーションのこのビルの5階には三鷹市美術ギャラリーという美術館があるのです。
2009年7月31日は、立川の国文学研究資料館で『百鬼夜行の世界 -百鬼の素性と展開-』に引き続き、その三鷹市美術ギャラリーで7月25日(土)~8月23日(日)まで開催されている、標記展覧会を見るために、三鷹駅に降り立ちました。

この牧島如鳩という画家は、キリスト者で日本画家の父の元に生まれ、自らも洗礼を受けたキリスト者だそうです。
幼い頃よりその父親から絵の手ほどきを受け、のちにイコン画家に師事し、やがて各教会でイコンを描くようになったとか。
また、それと併行して、仏教の勉強や仏僧との交流を通じ、仏画も描いていたとのこと。
仏教画と基督教画。まったく異なる二つの絵画は画家の内で習合し、そして独特で特異な宗教画がこの世に出現したのでした。
で、見た感想を一言で言うと「気味悪い」というのが正直な感想。 不快感はあるんですが、でも嫌悪感は沸き上がってこない、という何とも摩訶不思議な印象を持った絵画です。
しかしそれにしても、この暴力的なまでに圧倒的なインパクトは、実に凄まじいですね。 怖いのに目を背けることを許さない強烈な迫力があります。
画家は神や仏に対する強い信仰心を持ち、敬虔な気持ちでこれらの絵を描いたんでしょうが、世間一般的にはむしろグロテスクとすら形容してもかまわないタイプの絵画になってしまっているのではないでしょうか。
仏画は基本的に平面的で非リアルなラインや色彩で描かれたものと思うんですが、その非リアルな形象を、西洋画風の、立体的で現実的な色彩に置き換えると、かくまで不気味なものに変貌するんですね。
これらの絵を見ていて思い出したのは、
角川ホラー文庫「ぼっけえ、きょうてえ」のカバー絵でも知られている画家ですが、この人が描く女性画もグロテスクで実に気持ち悪い。 「春宵」などのように一線を越えてしまい、嫌悪感すら催させる凄まじい作品も描いています。
一部には、かくまでに凄まじいものもありますが、しかしながら甲斐庄楠音の絵にも、また牧島如鳩の絵にも、「美」と呼んで差し支えない要素もまた潜んでいるように感じます。
あと、太田蛍一なんかも同じ匂いを漂わせていますね。
ところで、牧島如鳩の絵を見たときに感じた不快感は、兄顔しずかや不気味の谷などと同質なものなんでしょうね。 非リアルがリアルを浸食したときに発生する「違和感」なんだと思います。