シャッター アイランド
2010/04/15 21:52 - さ・ざ行
『精神を患った犯罪者を収容する病院が建つ絶海の孤島を舞台にした謎解き』と聞いて、まさか21世紀の現代でコレだけはやるまいなぁ、と思っていたオチがあったんです。
で、実際に観たところ、映画のオチはまさにソレで愕然としました。あり得ねぇ!
以下、どういうオチだったかという詳細は書きませんが、参照に出す映画を知ってる人にはもろにネタバレになるんで、そのつもりで以後の閲覧に進むか、退くか選んでくださいませ。
この映画、原作があるとのことだけど、その原作からしてこのオチなの? だったらかなり驚き。 原作者も脚本家も監督もプロデューサも誰一人として、ドイツ表現主義サイレント映画の傑作「カリガリ博士」を知らなかったのかねぇ?
多少なりとも映画に対して興味を持ってる人間なら、精神病院とミステリー的謎解きの取り合わせと聞けば「カリガリ博士」を真っ先に思い浮かべる訳ですよ。 となると観客を驚かせるという意味で「カリガリ博士」とまったく同じオチを持ってくるとは考えづらい。
和歌には「本歌取り」という、鑑賞者もオリジナルを知っていることを前提に凝らされる引用技巧があるけど、この映画もそういう意図の元に作られたとでも考えない限り、あまりにもマヌケ過ぎる。
それともアメリカ国内的には本歌取り映画だったのに、日本の宣伝担当が、キャッチコピーを書いた人間も、それにゴーサインを出した上層部も全部ひっくるめてシロウトだったせいで『全ての"謎"が解けるまでこの島を出る事はできない。』なんて、あちゃー鑑賞者に謎解きを迫っちゃったよ、な売り出し方をしたんだろうか。
エンドスクロールも終わり明るくなっていく館内でワタクシ考えました。
「カリガリ博士」と同じオチと見せかけて、実はもう180度回転して、最初の設定が正しいという映画なのでは、と……
でも、映画内で描画される矛盾点(岸壁の洞窟で出逢った女性が靴履いていたり)や幻覚(灰になる直前の妻が腹から出血していたり、幻想に女児が現れたり)は、「カリガリ博士」と同じオチとして映画内で説明された内容を、いちいち裏打ちするもの。
ってことは、やっぱり素で「カリガリ博士」オチなんだろうなぁ。
でも「カリガリ博士」を知らなくても、映画始まって早々にネタ割れるんじゃない? 簡単すぎると思うな。
とまぁそんな感じでお話的には散々な作品でした。
せめてもの救いは、マックス・フォン・シドーを観られたこと(でもこの人もたまにとんでもない映画に出てるんだよなぁ、「ジャッジ・ドレッド」とか)と、ミシェル・ウィリアムズという可愛らしい女優さんを知ることができたこと。
それを持って満足したいと思います。