運命のボタン
2010/06/12 23:38 - あ行
ごくありふれた夫婦に突如降りかかる究極の選択。
「このボタンを押すとあなたは100万ドルを手にすることができます。しかしあなたの知らない誰かが死ぬことになります」
こんな究極の選択を迫られとき、人はどう行動するか、そして欲望に負け、ボタンを押してしまった主人公たちにどのような運命が待っているのか。
そんなあらすじを聞いたときは、かなりワクワクしたんです。
ハーバード白熱教室を想起させる、己の欲望と人倫の道の間で、主人公たちとともに観客も悩み揺れ動く思索映画としての側面。
そして、他人の命を奪うことで大金を得た主人公たちの罪に対して、どのような罰がどのように下されるのか、というクライムサスペンスとしての側面。
そんな映画を夢想しました。もしそうなら実に魅力的じゃぁありませんか。
しかし実際に映画を観て、私の期待は大きく裏切られました。
この映画は、神を僭称する宇宙人が地球人を苛めるたいだけの茶番劇SFだったのです。
宇宙人は、人々が、己の欲望と人倫の道のどっちをとるのか試すためにこのようなことをしているのだという。 そして己の欲を選ぶ人間ばかりなら地球を滅ぼすのだという。 そのための賭がボタンのついた箱を送りつけることなんだという。
あのさー、そんな賭をしているのなら、対象の人間たちの自由意志が最大限に発揮できるよう、なるべくニュートラルな環境に置かないと、正しい観察結果が得られないでしょうが。
ところが賭といいつつも実際は、被験者が人の命より金を取るように、胴元の宇宙人が裏工作を仕向けまくるイカサマっぷり。賭として成立してねーじゃんか!
主人公は足に障害を負っているんですが、そのことで、運命を変えられるかも知れない、というシーケンスが用意されていました。でもただ思わせぶりなだけで、後々まったく活かされません。 何のためにこんなエピソード挿入したんだよ。
とにかく最初に人の命より金を選んでしまった段階で、どう反省しても地獄行き。絶対赦されることがない。 まさしくキリスト教における主の如き不寛容ですね。
ところで先日この映画の原作小説を読む機会がありました。
「アイ・アム・レジェンド」の原作者として最近では名の通ったリチャード・マシスンによる10数ページの短編。これが実によくできた面白い小説なんですよ。
W・W・ジェイコブズの「猿の手」を思い起こさせるホラー短編で、最後の1行がかなり風刺とウィットに富んだ、心に刺さる小説でした。
何でこんなに面白い原作が、あそこまでダメな映画になってしまったんだろうなぁ。実に残念です。