妖怪百物語
2006/08/25 21:45 - や行
大映妖怪三部作の第一作目は、まぁ要は水戸黄門なワケです。
非常にオーソドックスな勧善懲悪の物語。
そんなワケでお話しそれ自体はそれほど面白いもんでもありません。
しかし、ラストの百鬼夜行のシーンはすばらしい。
悪徳商人とその手下は自滅し、最後に残った黒幕の寺社奉行も自刃して果て、古来からの掟を破った者どもを葬った妖怪の群れは、悪人どもを封じた棺桶を、まるで御輿のように担ぎ、まるで祭のように、はしゃぎ、わめき、無明の闇へと練り歩く。
実に良いです。
しかしその後のシーンは蛇足。
観客は但馬屋と重助が互いに自滅する場面をあらかじめ見ているんだから、わざわざ安太郎に「この世には人智では計り知れないものがある」なんて言わずもがなの説明なんぞさせんで良ろし。
あと、但馬屋主催の百物語に招かれた客の帰り道の場面も如何なものか。
堀から不気味な声が「置いてけ~」。驚いた客が小判を投げ捨てる。 地べたに散らばった小判が堀の水に吸い込まれる。
これはいけません。
悪人一味が滅んだのは、あくまでもタブーを犯したために妖怪たちの怒りに触れ、祟りにあって滅んだのであり、弱い立場の町人たちを虐げたために天罰が下ったものでは決してない。
奉行商人vs町人という視点に立てば、勧善懲悪の流れになっているけれど、それはあくまで結果的にそうなってしまったのであり、妖怪たちは人間俗世のことなんか我関せずという立場であるべき。
別に堀に落ちた小判を長屋の大家さんに、これで借金を返せ、と妖怪たちが渡すんじゃないんだから(もしそんなことしたら駄脚本決定)、こんな場面を挿入しちゃいけませんよ。
でもまぁ最初の妖怪ものなんだから、この程度のことに目くじら立てる必要もないってところでしょうか。
しかし先代林家正蔵の語りは実に巧みですねぇ。ホント聞き入っちゃいますよ、先代の語りは。